「鎖の奴隷自慢」知っておくべき事実
奴隷は、
奴隷の環境に慣れすぎると、
驚いたことに、自分の足を繋いでいる鎖をお互いに自慢を始める。
どちらの鎖が光っていて 重そうで高価か、などと
そして鎖に繋がれていない自由人を嘲笑さえする。
だが奴隷たちを繋いでいるのは実はたった一本の鎖にしか過ぎない。
そして奴隷は、どこまでもただの奴隷に過ぎない。
過去の奴隷は、自由人たちによる力に征服され、やむなく奴隷に身を落とした。
彼らはたとえ奴隷になっても決してその精神の自由まで譲り渡すことはなかった。
その血族の誇り、父祖の文明の偉大さを忘れず、隙あらば逃亡し、あるいは反乱を起こして、労働によって鍛え抜かれた肉体で、肥え太った主人を血祭りにあげた。
しかし現代の奴隷は、自ら進んで奴隷の衣服を着、首に屈辱の紐を巻きつける。そして何より驚くべきことに、現代の奴隷は、自らが奴隷であることにすら気付いていない。
それどころか彼らは、奴隷であることの中に自らの唯一の誇りを見出してさえいる。
これはアメリカの黒人詩人アミリ・バラカ(1968年)の言葉。
1968年 米国の黒人公民権運動家マーティン・ルーサー・キング牧師がメンフィスのモーテルで暗殺された年だ。
これをきっかけに、全米各地で人種暴動が発生した。
アフリカ系アメリカ人による公民権運動が過熱した時代。
文字通り鎖に繋がれた「奴隷」らの子孫が遺した言葉だ。
「過去の奴隷は、自由人たちによる力に征服され、やむなく奴隷に身を落とした。
彼らはたとえ奴隷になっても決してその精神の自由まで譲り渡すことはなかった。」
現代を生きる奴隷の同志よ、唯一の誇りを鎖に見いだすな。