正しい承認欲求との付き合い方
僕たちは認められたい 理解されたい
誰かに愛されたいと思う生き物だ。
「誰かに必要とされたい」「どうして認められないのか?」
「どうして愛してくれないのか」「どうしてわかってくれないの?」
このような承認欲求は時に少々厄介なものになる。
私たちは承認欲求との正しい付き合い方を知っておかなくてはならない。
1.他者から得られる承認は部分的であり、すべては承認されない。
2. 承認が欲しければ、承認されるだけの対価を支払うことだ。
(生後二日の赤ちゃんですら愛される対価を支払っている)
承認欲求との正しい付き合い方を心理学に基づいて解説していく
承認欲求
「誰かに必要とされたい」という欲求
私たちは家族・親による承認を最初に受ける。
幼少期の私たちは親に承認されることでこの欲求を満たしている。
幼少期、私たちは親にとって都合の良い「一部」のみ承認される。
躾けがコレにあたる
排泄はオムツからトイレへ どこでも排泄していいという私たちは否定される
話し方も矯正されるだろう
親に承認がこのように「一部」であるにも関わらず、私たちは「すべてが認められた」と誤認する。これは幼少期の私たちが無知であること、そして社会の作り出した母性神話によって発生する。
親による無償の愛 全てを受け入れてくれる母性など幻想だ。
私たち"良い子"としての自己しか親に受け入れてられていない。
"悪いこと"をしたら怒られたはずだ。否定されたはずだ。それを思い出してみよう。
赤ちゃんはなんと生後2日で笑う
それはなぜか、
親に可愛いと認識させ世話をさせて生きるためである
これは生理的微笑と呼ばれる生理反応であり
幸せで笑っているのではない。
生理的微笑
生後0〜3か月の乳児に確認できる行動。
「自分が笑うことで、周囲が優しくしてくれる」ことを目的としたもので
親に世話をさせる為の乳児の自己防衛手段である。
親に自分を愛させるために 自分が生きるために世話をさせる為の戦略なのである
このことは"何かを得るには対価が必要だ"という真理の存在を強く意識させる
生後2日の乳児ですら無償には愛されない
愛は有償だ
しかし この真理は度々忘れられている。
忘れてはならない
何かを得るには対価が必要だ
そして、他者による承認は"他者にとって都合のよい一部"しかされないという事だ。
全てを受け入れて欲しい。もっとみて欲しい
全てを認められたい。という思いは傲慢である
母性のような全てを包み込む 承認というのは存在しない。 幻想として幼少期に、物語の中に存在しているだけである。
私たちは一部しか認められない 。それを理解せよ。そして
承認が欲しければ、承認されるだけの対価を支払うことだ。